今年は太平洋戦争から80年の節目の年です。日本はこの間、戦争を起こすことも、戦禍に直接巻き込まれることもありませんでした。80年前の戦争で多くの犠牲を出した我が国こそ、戦争の悲惨さを発信し続け、日本だけでなく世界全体の平和と安定のために役割を果たしていかなければなりません。
私は沖縄に近い鹿児島県の沖永良部島で生まれ育ち、幼い頃から悲惨な戦争について身近に触れる機会が多くありました。初めて政治を意識したのは、1995年、高校3年生だった戦後50年の節目の年です。もともと教師や医師を目指していましたが、戦争に関する本を読み漁るうちに、先の大戦で多くの国民の命が失われただけでなく、教壇に立ちたくても立てなかった教師がいたり、多くの人生が狂わされたことを知り、戦争の不条理さを自らの人生に重ねて考えることになりました。
そして、なぜ日本は国力の差から敗戦が明らかであったにもかかわらず、米国との戦争に踏み切り、多くの犠牲を出してしまったのかという疑問を抱きました。私なりにたどり着いた結論は、政治指導者の責任でした。一人ひとりの子どもたちに向き合う教師の仕事を尊いと思いつつも、その前提として、戦争のない平和な社会をつくらなければとの想いが込み上げてきました。当時の日本の政治家は国内の政争に明け暮れ、日本が国際社会の中でどう行動するかを考えているようには見えませんでした。同じように政治家の判断の誤りや国際情勢の読み違いが、再び戦争を起こしてしまいかねないと考え、「戦争を起こさない国をつくるために政治に関わりたい」、と強く思うようになりました。
大学と大学院で政治学や国際関係論を学び、国会議員のスタッフとして外交や国防問題に携わった後、国際政治の本場である米国のシンクタンクや大学の研究所で東アジアの安全保障政策の研究に従事しました。国政に挑戦する際には、日米関係が重要だからこそ、米軍基地に隣接して暮らす声に寄り添いながら過度に米国に依存する外交・安全保障政策を変えたいと考え、米軍の厚木基地とキャンプ座間のある地域で活動する決意をしました。
日本は悲劇的な敗戦を経験したのち、平和を希求する国として不戦の誓いを堅持してきました。国際連合を中心とする新たな安全保障の枠組みと米国との同盟関係を通して、その後の80年の平和を確保してきました。しかし世界に目を向ければ各地で戦争や紛争が勃発し、多くの無辜の市民の命が失われ続けています。国際社会は今、戦後の世界の安定を主導してきた米国の変容への対応と合わせ、ウクライナ戦争や中東問題、インド・パキスタン対立、東アジアでの軍拡など複雑かつ困難な課題に直面しています。
戦後80年の節目の年にあたり、私たち日本は、自らの行き詰まりを軍事力により打開することを画策して、国際社会から孤立し、戦争へと突き進んだ過去を胸に刻まなければなりません。そして、力による一方的な国際秩序の変更を許さず、民主主義や自由、人権といった理念を重視する国際秩序を守り抜く責任があります。80年前、国内外に斃れたすべての方々に哀悼の誠を捧げると共に、積極的な議員外交と国会活動を通して、日本と世界の平和と安定のために一層力を尽くしてまいります。
2025年8月吉日
衆議院議員 太栄志 拝